1987年パリで・・・。早川俊二との出会いは、その後の私の人生を大きく変えた。それは「出会ってしまった」としか言いようがないことであった。それ以来多くの人たちに早川俊二作品の素晴らしさ、可能性について話してきた。そして寡作の早川ではあるが、この10年余りに200点近い作品が日本に送られ、皆様に見ていただいた。80年代には絵具の問題に突き当たり、作品がほとんど出来なかったことを考えればよく歩んできたともいえる。これも、作品に寄せる皆様の熱い思いがどんなにか彼に対する励みとなったかわからない。もちろん私自身にも大いなる励みであった。そしてそこにある、そのエネルギー源は、共有する世界は、早川作品に思い描く「夢」であると思う。それは人生そのものに触れてくる。

早川は近年、自身の精神をより透明なものにしたいと厳しい食事制限をしてきた。それは禅の修行僧を髣髴とさせる。それによって生じる肉体との戦いは少なからず筆先にも影響を与えていた。油絵を描くということは想像以上の激しい肉体労働である。遠慮がちにいう彼の言葉ではあるが、その苦しさは想像に難くない。その修行が成果をあげ始め、2003年春あたりから心身の調子が抜け出してきたらしい。時に電話越しに感じる彼の言葉には張を感じる。その彼の行為も「思い描く夢」への期待が故であると思う。私たち人類が辿ってきた歴史とは決して平坦な道を歩んできたわけではない。「どうなるかわからない」という可能性に対し、勇気をもって歩んだ人、それを支えた人々があって新たな歴史が開かれてきたのだと思う。この国のこの10年余りはよく「失われた10年」と言われている。それは前へ進めなかったという意味なのであろうか。しかし、そう言われているその時にも早川は少しでも前へ行こうとして進んできた。時代を創るとは予定調和の世界ではない。早川の営みを思うとほとんど無謀なそれを思わなくもないが、私もそれにかけてきた。その結果、たとえ小さな扉であっても新しく世界を開く、つまり創造の喜びを味わえたことは何物にも変え難い。それこそが生きる喜びであると思う。そして皆様と共にその喜びを分かち合うためにも未来の扉を開かれんことを切に願っている。

 

2005年1月

アスクエア神田ギャラリー 伊藤厚美

BACK